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【2024/06/23 10:59 】 |
眩暈3

また、この日曜大工の簡易セットは、色は、濃い青で、手で持ち運べるように付けられた金具部分の色はシルバーだ。幸恵はマンションの部屋て中を大きな伸びをして「そろそろ眠いから寝たい」と言った。それは無理もない、もうこんな時間だ。眠いのは当然だ。時刻はちょうど夜の22時を廻っていた。

部屋のコーナーに置いてある粋でモダンな黒いエナメル地のマットベッドの上にいつの間にか幸恵は大の字になって寝転がっていた。無防備にも足は大きく開かれて、少し蟹股に見える。太腿と太腿の間から下着が少し見えて、それが何とも言えず艶っぽく櫂の男心を惹いた。

しかし、櫂は、ここで今、情欲の沸くままに幸恵のことを襲ったりしてはいけないという常識だけは持っていた。そのような突飛で女性を卑下した下衆な行動は大変良識を欠いていて不道徳なことだと心得ていたからだ。

マットベッドの上に寝そべっている幸恵の顔は、小さく丸く口をポカーンと開けている状態で、少し間が抜けて見えるがとても愛嬌がある。櫂の心は幸恵に対して愛おしいと言う感情より、どこかで見覚えがあるという懐かしい感情の方が大きいのだ。その懐かしさは大分前、何年か前に横浜の海外旅行のセールス会社で知り合った年下の女性の面影に繋がっている。

その女性は堂本千恵子という名前で大変性質の悪い不良男と付き合っていた。会うたび買い物だけの関係で逆らうとその場で引っ叩かれ、財布を取り上げられカードを盗まれた挙句、勝手に使われその返済に追われ、とうとう水商売で働くまでに落ちぶれてしまっていた。世間知らずの娘が付き合う男を間違ってしまって転落してしまった典型的な例だと思う。

ある日、その千恵子が、交際相手の男の家を訪ねると、別の女性がいて、その女性に妹だと紹介され、その後ショックで湘南の海に行き、哀しくて哀しくて、海辺の砂浜にしゃがみ込んで唯一人ひたすら涙を流していたという。

さらに、哀しみはそれだけでは癒えず、さらに深い哀しみに進行してしまい、とうとう自宅でリストカットしてしまったのだ。しかも、その行為は幾度と無く繰り返され、千恵子の左手首はリストカット跡の生傷が絶えなかった。右手はリストカットのために使用するカッターナイフを持つ役割でリストカット跡はなかった。左手首の方は常にリストカット跡を隠すために白い手首バンドが嵌められていた。

櫂が初めて千恵子の彼氏を見たのは、千恵子のその性悪の彼氏がよく出没する店のリストアップの中の一つの居酒屋でだった。ある日、千恵子がそこに一緒に付き合ってくれというので付いて行ったらその性悪彼氏が本当に来たのだった。その男性は、千恵子に聞いていたとおりクッキリした、大変ハンサムな顔だった。

櫂は見た目が大変純で真面目そうに見えるので、彼氏に別に疑われることもなく、そればかりか顔をマジマジと見られた挙句に信頼しきった目つきで『どうぞ、千恵子と仲良くしてあげて下さい!』とまで言われたほどだった。

だが、その時、居酒屋の帰りに千恵子の家に辿り着くと千恵子の家―自営業のビルの部屋だった―で、生意気をいう―千恵子という女は勝ち気なタイプだった―千恵子に対して、いきなりビンタを食らわせる場面に遭遇した。ビンタの原因は、たまたま“薬をやっている”という話が出たためだった。「なにぃ~!薬だとぉ~!」と、こう言っている矢先にもう性悪彼氏の手が出ている始末だった。

二人はいつもこうなのだろうか?その性悪彼氏の話だと“いつも俺たちはこうだよな!俺の方がやられそうになる時も多いよな”と言うことだった。

また家に帰る時、その性悪彼氏の真っ赤な軽自動車で送ってもらったのだが、千恵子が二人が乗る車を見送る時、性悪彼氏に向かって「スケコマ頑張ってね!」と言ってMILD7のたばこを渡していた姿が今でも脳裏に彷彿と蘇る。その夜は確か櫂は横浜伊勢佐木長者町辺りのカプセルホテルで泊まったのだ。

また、千恵子の話によると、千恵子の彼の名前は、“誠司”という名前で、“せいちゃん”というニックネームで、大変、短気で乱暴で女癖が悪いが、日本テレビにスカウトされたことがあるほど容姿端麗なので、どうしても離れられないと言うことだった。

それほどまでに面食いだと言えばそうだが、それは二人の出会いは、美意識が高い世界と思われるファッション界の第一線を行くあの有名な「東京モード学園」だからそう思うのだ。

その上、性悪彼氏は、同時期にいっぺんに10人もの女性と平気で付き合えてしまうほどの女好きで浮気性とのことだったから、並大抵の神経ではこの男とは交際は不可能だろう。きっと嫉妬深い女性ならものの一ヶ月のしないうちに神経が磨り減り、衰弱してしまうと思われる。

現に千恵子がそうだった。嫉妬と涙に明け暮れ、リストカット三昧の日々を送っていたといっても過言ではないからだ。酷い時は、待ち合わせ時間に電話をしても、まだ性悪彼氏はベッドの中で寝ている状態だったという、千恵子は、決してブスでも何でもないが、この性悪彼氏は、心底、千恵子を見下し嘲っている所があったのだ。

「私、何時間でもせいちゃんが来るまで待っているからね!」性悪彼氏の“せいちゃん”を電話で誘う時、いつも千恵子はそう言っていたという。そして、ようやく待ち合わせ時間から何時間も送れて性悪彼氏の“せいちゃん”が待ち合わせ場所の喫茶店に着くとその時初めて普通の恋人同士のようにジュースを仲良く飲んだのだという。―殆どいつも買い物だけの関係だった、もちろん買い物をするのは千恵子の方だった、しかも買い物を受け取るのは彼氏である“せいちゃん”の方だった。殆ど紐男とやっていることは同じだった。

櫂と千恵子が知り合った当時は、自殺寸前の一歩手前と言った状況だったと思う。もちろん、櫂は性悪彼氏に弄ばれている千恵子を気遣い、何度も別れるよう説得したが駄目だった。「櫂には分からないだろうけど、私のように沢山遊んで来ると、ああいう男がよくなっちゃうのよ!」と訳の分からない返答をされるだけに終わってしまっていた。

櫂は、心からこの少女のことを本当に現時点で味合わされている地獄のような不幸の被害から救いたいと思っていた。

東京モード学園で自分で男性物の背広をサイズ変更して仕上げたというオリジナルのグレーのスーツがとてもよく似合う少女だった。

その千恵子という少女―当時まだ10代後半だったと思う―の面影に幸恵は似ているところがあるのだ。色々なことが走馬灯のように一気に頭を駆け巡り、櫂は混乱しそうだったが、そこはグッと堪え、何とかその場をやり過ごそうとした。

その結果、櫂が辿り着いた答えは、“自分はいつも似たような人物に巡り合うなぁ”と言うことだった。その状況や人間関係は、多少食い違ったり入り乱れたり、複数人数出会うと、名前とタイプがあべこべだったりはあるが、とても似たタイプに繰り返し何度も巡り合うことが実に多かったのだ。

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【2010/02/26 16:14 】 | 小説 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
眩暈2

その時、櫂は生まれて初めて嫉妬心という物を感じた気がした。「僕、先に車に戻っているよ!」櫂は苦し紛れに精一杯そう言った。突如、嫉妬の念が沸いたせいだろうか?息苦しくて一刻も早くこの場を立ち去りたかったのだ。自分一人が車に先に戻っても、まさかこの割り込みの外野男と二人で黙って何処かへ行ってしまうと言う事はないだろうと思っていた。

「待って、私も行く!」思っていたのと違う展開になったが、櫂は内心ホッとした。「俺、いきなり乱入して嫌な思いさせたみたいだな、悪いからもう帰るよ!」何と、目障りな外野男も素直に消えてくれたのだ。そういうことなら、これで、この先は嫉妬に苦しまなくて済むと思った。

その日の夜、幸恵の住むマンションに辿り着くと、さっそく幸恵が今日、箱根の彫刻の森美術館で買い物してきた物を紙袋から出し包みを開いた。すると何時間か前に美術館の絵画ショップで買ったルノワールの小さいポスターと絵画ブロマイドが入った額縁―ゴッホだかモネだか分からないがその辺の作風だ―がそこに現れた。

「僕が払うんだから、もっといっぱい好きなもの買えばよかったのに・・」櫂がそう大見得を切るのは、やはりその頃はまだバブルの終わり頃で羽振りが良かった性だった。それに何より櫂は生まれつき女性が大好きで、女性の喜ぶ顔を見るのが大好きだからお金があればあるだけ女性に使ってしまう所があった。それは、幸恵に対しても例外ではない。

そんなことを思っている矢先だ。突然幸恵の部屋に電話が掛かってきた。それは、しばらく交流の途絶えていた幸恵の知り合いの男からだった。「久しぶりだね!実はさ、俺、この間、何年も前から付き合っている彼女に振られちゃってさ、死のうとしたけど上手く行かなかったよ!」それは驚くべき事実だった。その後、さらに話をよく聞くと、彼女に振られ、自棄になり、死ぬためにとった手段とは、上半身の腹部分に銅版を巻きつけ弱い電流を流したのだという。

「だいじょうぶぅ・・・可愛そう、今ね私の友達着ているんだけど、あなたも今からよかったら来る?」受話器に向かって幸恵がそう言い放った。何と、幸恵はまたしても外野を加える気だ。しかし、今まさに死のうとして精神的に弱りきっている奴を阻害して苛めるほど野暮な性質でもないから、櫂は黙って平然とその話を聞いていた。

しかし、結局、また日を改めて来るということで今から来る話は御破算になった。

電話が終わると櫂は幸恵に促されるまま、さっき包みから出したルノワールの小ポスターをカッコいい形で壁に貼り付ける作業に取り掛かった。「こんな感じでいいかなぁ」「うん、とても良いと思うよ!」何とかポスターを綺麗に壁に貼り付けると幸恵の表情もとても満足そうだった。

それから満足ついでに気をよくして夜食を取ることになった。部屋にある沢山あちこちに散乱したメニューから一つを取り、出前のピザを注文したのだった。―幸恵の部屋はハッキリ言って、お世辞にも綺麗とは言えなかった沢山荷物や洋服が無造作に周囲に投げ散らかされていた―30分か40分するとピザが部屋に届き、さっそく頂くと、それは、それは、とても美味しかった。ピザは幸恵の大好物の一つだ。なので、またまた幸恵の顔は大満足の表情になった。

そして、さっきの腹に銅版を巻いて弱い電流を流し自殺を図った男のことだが、彼の名前は「尚之」という。昔から画家を志ていて、この頃、流行っていた伝言ダイヤルなるもので幸恵と知り合い、それ以来、交流を深めて行ったという。だが、櫂自身が四六時中、この二人が会う時に一緒にいた訳ではないので、どのような会話をしたり、またどのような場所に二人が行ったのかは知る由もない話なのは当然のことだ。したがって、幸恵とこのさっき自殺未遂を図ったばかりの尚之という男が、何処までの関係なのかも櫂には推理のしようがない。ただ、分かっているのは、この男が昔から画家を目指し、某美術大学へ進学するほど美術が好きだということだ。

そのような志のあるまともで立派な男がたかが、女性に失恋したくらいで自殺を図るものだろうか?本当にただの失恋が原因だったのだろうか?それは、考えれば考えるほど深みに嵌るループの法則にも似ている。一体、本当は彼に何があったのか?櫂はまるで推理小説を読む悪戯な少年のようにその心はわくわくドキドキしていた。

櫂も絵は好きだが美術大学には行かなかった。そして、そのような仕事に就くこともなかった。漫画家や画家になりたいと思ったことは何度もあるが、何故かいざ就職先を選ぶ場面になると色々他にやりたいことが見つかってしまって、心に迷いが生じてしまったのだ。学生時代、油絵の成績はトップだった。なので、絵を仕事にすることに普通なら迷うことなどないはずなのだ。なのに、櫂は就職先を決める時点で非常に迷い、結局、あれほど目指していて夢だった絵の仕事を選ぶことを止めたのだった。

それは、誰に邪魔された訳でも止められた訳でもなかった。自然に己の心が己自身に命じたようだった。『絵を描く仕事を選ぶのは止めろと・・・』

「私ね、ここの家賃高いから払うの大変なんだぁ、ねぇ、あなたに協力して欲しいの・・」「ここの家賃はいくらなの?」今、羽振りが良い櫂にとって、幸恵に家賃が幾らか聞くのは、もちろん、都合が付けば何とかしてあげたいという気持ちがあるからだった。「うぅんとねぇ、ここの家賃は12万8千円だよ!だから、半額の7万円だけでも何とかならないかなぁ~!」「結構すごい金額だね!」「うん、だから、もちろん、一緒に住んだって良いよぉ~!」「そうだけど半額は、6万4千円じゃないかな?計算してみて!」「いいじゃん!そんなの年上の方が多く払うの当たり前ジャン、だって年上でしょ~!」

確かにそう言われてみれば、櫂のほうが、幸恵より年上だ。しかし、だからといって、そう易々と、まだ本当に一緒に暮らすとも決まっていないのに家賃の半額以上を払おうことをOKして良いものだろうか?そういう迷いが走馬灯のようにその時櫂の脳裏に巡っていた。

「そうだねぇ、本当に一緒に暮らすことになったらそうするね!」「ええ、良いよ幸恵ちゃんは櫂ちゃんと一緒に住みたいよ!」「ううん、でもここマンション8畳のワンルームでしょ、二人も住んだら窮屈じゃないかな?」「そんなことないよ、一応8畳もあるから、充分、二人で住めるよ!」「でも、何か物が多くて、すごく狭く感じない?」「それだったら、これからきちんと片付けて綺麗にするからさぁ、私、こう見えても掃除は得意なのよ!」

それは、信じられない発言だった。これほどまでに物が散乱して猥雑な状態な部屋に住みながら、掃除が得意とはあまりにも意外な言葉だ。

しかし、嘘のような本当の話だが、そう言い切った後、すぐに幸恵はスクッと立ち上がり、その後テキパキと部屋の掃除をこなしたのだから、それは褒めるべきことに値するだろう。見事部屋は綺麗に整列したからだ。しかも、それほど時間は掛かっていない。

それから、スッカリ片付いて綺麗になった部屋でジュースを紙コップに注ぐと櫂にも紙コップを私自分も飲んだ。その次に“じゃらん”という雑誌を部屋の隅から取り出すと、しきりに「スキーに行きたい!」と騒ぎ出した。

それを宥めるように櫂は、幸恵にこう言った。「僕が今度連休で休みを取れたらスキーに一緒に行こう!」「わぁ~嬉しい、じゃあ、連れて行ってくれるのね!」「うん、もちろんだよ!だけど連休が取れたらだよ!」「うん、じゃあ、楽しみにているね!」「うん、一応期待して待っていてね、多分、連休もらえると思うから!」

幸恵のマンションの部屋には沢山の物があり、さっきまで散乱していてバラバラになってあちこちに転がっていた物が今は嘘のように綺麗に片付いているから不思議だ。どうやら幸恵は部屋を汚すのも大好きだが掃除も大好きだという極端から極端に走る行動や趣味の持ち主だと思える。

そして、部屋のあるコーナーには平べったい長四角の少し大きめの金属製の箱のような物が置いてあった。それは、よく見ると日曜大工の簡易セットのようだった。中にはきっとペンチやスパナやドライバーが入っているのだろう。どれも、大工仕事には必需品だが間違って使用すると簡単に凶器に変わってしまうものばかりだ。

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【2010/02/25 21:18 】 | 小説 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
眩暈1

櫂が、幸恵と二人で箱根の彫刻の森美術館に行ったのは、一度きりではなかった。最初に一度行ってから、二人ともかなりその場所が気に入ってしまい、気づけば、その後思い出したように度々、尋ねて行ったのも不思議なものだ。

ある日、箱根の彫刻の森美術館に行った日は、頭部だけの彫刻がズラリと並んで展示されている渡り廊下を真っ直ぐに、別の棟の美術館に向かって走っている時、ふと美術館の絵画ショップで絵画ポスターなどを買いたくなり、突如、方向転換してショップに足を向けたのだが、息切れしてしまい、いきなりその場にしゃがみこんでしまった。

勿論、その時、一緒にいた幸恵は心配して私に話しかけてきた。「大丈夫、櫂ちゃん!」櫂は、言うまでも無く私の名前だ。「ちょっと、慌てたものだからね、でも、もう大丈夫だよ!」少し咽て堰がでたが、心配するほどのこともなかった。

「私が先に欲しいものを選んでおくから櫂ちゃんは、そこで待っていてね!」「いや、僕も一緒に行くよ!」「でも、体調が悪いんだったら無理しない方がいいよぉ」「たいしたこと無いから大丈夫だよ、ほら、ニコニコしているだろう!」そう言う間に、もう幸恵は、何点か好きな絵画ポスターや葉書を選んでいた。本当に素早い行動だ。

いつも、幸恵はテキパキと行動が出来るタイプで何においても手際がいいのが常だった。もちろん、そんな幸恵だから、みんなから頼れるタイプとして羨望のまとだった。容姿だって決して悪い方じゃなかったから、幸恵を恋い慕う者達が周囲から絶えることはなかった。そんな人気者の幸恵を独占できている自分はたいした者だと櫂は、いつも鼻高々だった。

幸恵が絵画ショップで絵画ポスターや絵画葉書を購入してレジに向かうと櫂もいつのまにか追いついて傍に立つ構図になっていた。幸恵は自分の財布をバッグから取り出すとさっそく蓋を開けたが、中身を見てすぐに落胆の声を上げた。「ああ、どうしよう・・・・足りない・・・どうしてもお金が足りないのよ」「えっ!何だって、そりゃぁ大変だ!」その場は櫂が払うこととなった。

この頃、櫂の方は金銭的に順風万歩で、何も悩むことがなかったのだ。それほど裕福な家庭で育っている訳では無かったが、櫂は沢山の種類のアルバイトに毎日明け暮れ、金銭的に比較的恵まれ、何不自由なく毎日を快適に過ごしていた。

幸恵の方は、根はとても良い子なのだが、しばしば金欠に襲われ狼狽してしまう場面が多いのだった。殆ど問題が無い性質なのだが、金銭的に落ち込むことが多い女性だった。

そんな幸恵のことを、その時の経済力で影ながら支え、支援していたのが櫂だ。幸恵から慕われ続け、頼もしいと言われ、心から信頼されたいという思いから張り切っていた。櫂は、見た目は割りと好感度の高い真面目風だったが、対する幸恵の方は、お茶目で可愛いうさぎちゃんと言った処だ。

幸恵が絵画ショップで選んだ商品はルノワールの小さなポスターと絵画ブロマイドが入った額縁だ。「これとっても気に入ったの、櫂ちゃんも何か買わないの?」「僕は、良いよ、またここに一緒に来て絵を見ることが出来ればそれでいいんだ」「ふーん!そうなんだ、わかったぁ」「また、ここに一緒に来ようね!」「うん、もちろんそのつもり」

幸恵と櫂の二人の会話は、本当に有り触れたどこにでもいる恋人同士のような会話にもよく似ている。

太陽の周りをぐるぐると廻る惑星や恒星のように人のことをその太陽や惑星や恒星に例えるなら、さしづめ幸恵が太陽で櫂がその周りをぐるぐると廻る惑星や恒星になるだろう。また、時として太陽であるはずの幸恵がその周りを廻る太陽からの平均距離59億1510万キロの準惑星の冥王星になっていた。この星は、太陽系で海王星の外側を廻っている。

星の導きのようにある日と突然二人は出会い、会話を交わし、お互いを認め合い、そして惹かれ合い互いの半身を必要とするようになり、定期的に会うまでの関係になった。だが、まだ青い果実のような間柄はしばらく続いた。まだ二人の関係は、恋人のようで恋人でない、また友達のようで友達でない、幸恵と櫂は正に友達以上恋人未満の関係だった。

もっぱら二人の共通の趣味は少なくとも初期は、美術館めぐり―まあ、殆どが箱根の彫刻の森美術館に行く事が主な活動だ―に尽きた。最初は、二人はまるで美術館から始まったと言っても過言ではない交際の幕開けだった。

美術館の帰りに、幸恵がお腹が空いたと言ったので、櫂は助手席の幸恵と共に車でデニーズに入った。「ねぇ、これ美味しいね!感激!」さっきオーダーしたばかりの真っ赤なロブスターがお皿に腹を切り裂かれた格好で載せられて目の前のテーブルの上に置かれていた。「もちろん、美味しいよ、ここの自慢の料理らしいからね!たーんとお食べ」幸恵の頬っぺたが、とても幸福そうにピンク色に輝いた瞬間だ。「すみません、ちょっと良いですか?」後ろから、甲高いテノールの男の声がした。「えっ何か?」慌てて、櫂が男の問いかけに反応すると、幸恵がすかさずこう言い放った。「いいよ!一緒に食事しようよ!」櫂は驚いてしまった。だって、いきなり幸恵と自分の二人の間に外野が入ってきたからだ。

だが、そんなイライラしだした櫂のことを余所目に外野の男と幸恵は初対面だと言うのに大変意気投合した感じだった。「君、可愛いね、俺の好み、・・・あっごめっ、隣の人彼氏だよね!」今更気づいたかのようにこの初対面のずぅずぅしい男がそう言うと、な、何と幸恵はこう言ったのだ。「うぅん、違うよ!友達、友達!」いや、確かにその通りだ。この時点で櫂と幸恵の関係はまだ潔白な関係だったから。

だけど、あまりにずぅずぅしくないか?男と女がどんな事情であれ、二人でファミリーレストランに来て入れば、どう考えても馴れ初めの関係であることは一目瞭然ではないか?そんな思いが櫂の脳裏にふと浮かんだが、次の瞬間、打ち消された。なんとずぅずぅしい初対面の割り込み男が幸恵の肩に櫂の目の前で手を掛けたではないか!

櫂はそれまで嫉妬心という物を幸恵に感じたことは、唯の一度もなかった。元々、櫂は、嫉妬をあまりしない性質だった。だが、あまりにもずぅずぅしい、初対面の外野男の振る舞いにいつのまにか気づけば心の中は烈火の如く熱く滾っていた。これは本当に櫂にとっては珍しい感情のあり方だった。

【2010/02/25 02:27 】 | 小説 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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